Thursday, March 29, 2018

 
 *ブログ11 トピック:「日本の伝統工芸品で、興味のあるもの、好きなもの」どんな工芸品が好きか、どうして好きなのかについて、書いて下さい。

 私は沖縄出身なので、沖縄の伝統的な工芸品と呼べる、シーサーについて紹介したいと思います。沖縄の伝統的な瓦葺き(かわらぶき clay tile roofing)の屋根の家には、シーサーと呼ばれる、ライオン=獅子(しし)の置き物が置かれています。シーサーは、全力で相手をたおすといわれるライオンのように、屋根や門の上から魔物(まもの)を追い払っています。












 







シーサーは13~14世紀(500~600年前)、中国から沖縄に伝わったといわれています。昔は国王や国のえらい人たちなどの、シンボルとしても使われていたそうです。屋根の上やげん関、門の上に置かれている他、村や町を守るために、村の入り口や高台に置かれているシーサーもあります。

 今では幸せをよぶ沖縄観光のシンボルとして、置き物やキーホルダーなどにも使われています。伝統的なシーサーは、ちょっと怖い顔をしていますが、最近では、面白い顔をした、かわいいシーサーもあります。沖縄に行く機会があったら、ぜひいろいろな所にあるシーサーを探して、見てみて下さいね。


Monday, March 26, 2018


*ブログ10のトピック:今までに日本が外国から輸入したものを一つ選んで調べて、どのような歴史があるのか紹介してください。(例:紅茶、バナナ、キリスト教、ハンバーガーなど、何でもいいです。)



 私は、スパゲティの日本での歴史について書きたいと思います。今では、大都市には本格的なイタリア料理の店もたくさんありますが、私が子供のころは、パスタという言葉は知られていなくて、スパゲティやマカロニがよく家庭で食べられているパスタでした。
 日本へ最初にパスタが持ち込まれたのは、江戸時代の終わりの横浜に作られた外国人居留地だったそうです。その頃、スパゲティを初めて見た人々は、「うどんのようだ」と思ったらしいです。昭和の初め頃から、一部のレストランなどでパスタの料理が食べられるようになったそうですが、パスタが一般化したのは、1950年代以降のことだそうです。
 特に、1970年代ごろからスパゲッティ・ナポリタンという料理が流行して、ファミリーレストランや、家庭でも作られるようになりました。これは、ゆでたスパゲティーをたまねぎ、ピーマン、マッシュルームなどの野菜と、切ったソーセージと一緒にトマトケチャップで炒める料理です。

https://allabout.co.jp/gm/gc/186773/
このスパゲティ・ナポリタンという料理は、実は日本人が作り出した料理で、本当のイタリア料理ではないのです。ナポリはイタリアの町ですが、そこでは、トマトを使った料理が多いそうです。そして、ナポリタンという言葉は、フランス語で、ナポリ風のトマトを使った料理という意味です。この料理を考案した横浜にある、ホテル・ニューグランドのシェフが、フランス料理の専門だったので、この名前が付けられたと言われています。私が子供のころ、よく給食にも出たし、母もよく家で作ってくれました。他に、スパゲティ・ミートソースと、マカロニサラダが、日本人の家庭でよく食べられている料理だと思います。
 1980年代には本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「イタめし」という言葉もできるほどのイタリア料理ブームが起きました。今では、梅しそやたらこ、納豆や海苔など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く食べられていて、日本人の食卓に欠かせない食べ物になっています。

Thursday, March 15, 2018


*ブログ9:ミニ発表11の下書き自分の国について、次のトピックAかBのどちらか一つを選んで、絵や写真などを使って分かりやすく5分程度で話してください。教科書のp. 256の発表の仕方も参考(さんこう)にしてください。

A: 歴史上の人物: 
·  いつ、どこで、何をした人か。その人の人生(じんせい)を時間に沿()って(chronologically)説明する。
·  その人のしたことは、歴史的にどんな意味があるのか。

B: 食べ物など
· どのように始まって、どのように変化してきたのか
· その食べ物は自分の国の人々にとってどのような食べ物なのか


 私は餅の歴史について調べてみました。日本の文化では、餅は、お正月などの大切な日に食べられる食べ物の一つです。日本ではもち米を用いて作る餅が一般的です。作り方は、まずもち米をといでから十分に水に浸しておいた後に、水気を切り、蒸します。次に、蒸したもち米を杵と臼で米粒の形がなくなるまでついて、いろいろな形にしたら出来上がりです。


    


最後に、それらに砂糖、しょうゆ、のりなどで味付けしたり、スープなどの料理に入れて食べます

  

平安時代になると、餅は神聖で縁起のよい食べ物という意味が強くなって、季節・行事ごとに食べられるようになりました。そのころから、鏡餅が作られるようになったそうです。
 
   

1193年に書かれた『吾妻鑑』という本には、黒・赤・白の三色の餅と書かれていて、そのころから、白以外の色餅が作れれていたことがわかるそうです。また、東日本では主に四角い形の餅が、西日本では丸い形の餅が食べられているそうで、場所によって餅の形に違いがあるようです。
         

Sunday, March 4, 2018


ブログ8:トピック「私が好きな歴史上の人物」
(日本人でも他の国の人でもいい)いつ、どこで、何をしましたか。どうしてその人が好きですか。

 私が好きな歴史上の人物の一人に、杉原 千畝(すぎはら ちうね 1900 - 1986年)という人がいます。杉原は、日本の外務省に勤める、外交官だった人です。彼は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館というところで働いていました。その時、ナチス・ドイツの迫害のせいで、ポーランドなどのヨーロッパの各地から逃げて来た難民たちがたくさんいました。そのころ、日本はナチス・ドイツと同盟を結んでいたので、日本の政府/外務省は、そのような難民達を日本に入れてはいけないと命令していたそうです。
 しかし、杉浦は、そのような難民の人達の状況を知って、とてもかわいそうだと思っていたそうです。それで、19407月から8月にかけて、日本の外務省からの命令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、約6,000人もの避難民が日本に行けるようにしてあげて、助けてあげたのです。その避難民の多くが、ユダヤ人系の人達だったので、「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがあるそうです。

          


その当時、日本政府の命令に従わないと仕事を辞めさせられたかもしれないのに、危険を冒してまで難民の人を助けてあげた杉浦は、立派な人だと思います。